軍事思想史入門 第7回【要塞戦】

【要塞戦】

 古くから中近東や西洋では日干しレンガや石造りの城砦というものが利用されてきたが、火砲(大砲)の発達によって旧来の城砦は陳腐化し、より新しい形の築城方式が求められた。それが、いわゆるイタリア式築城(星形要塞)であり、これによって要塞における包囲戦には攻防両者に新たな知見が求められるようになった。このような要塞での戦いに関する著作の中で特に有名なものは、フランスのヴォーバンによる『要塞攻囲論』である。ヴォーバンは要塞建築だけでなく、要塞攻略においても名手として名高く、彼の著作は要塞に関する古典として知られるようになった。

 また、国土の大部分が湿地や低地から構成されるオランダでは、以前から洪水線と呼ばれる意図的に堤防を決壊させて敵の進軍を困難にさせる防衛法が取られていた。そのような洪水線による浸水を免れた地帯の守りを固める為に要塞建設が推し進められることになり、要塞建築と攻略の名手とされたオランダのクーホルン『湿地や低地における新たな要塞建築』という優れた著作を残した。

 しかしながら、このような形式の要塞も火砲のさらなる発達によって陳腐化されることになり、改良を施した分堡式環状要塞が一般化することになった。この新型要塞の生みの親であるベルギーのブリアルモン『現時築城論』などの著作を残し、このブリアルモン式の要塞が近代後期の戦争における要塞の一般形式となっていった。

 

ヴォーバン『要塞攻囲論』

クーホルン『湿地や低地における新たな要塞建築』

ブリアルモン『現時築城論』