軍事思想史入門 第3回【三十年戦争から七年戦争】

三十年戦争から七年戦争

 三十年戦争ウェストファリア条約に基づく主権国家体制の成立だけでなく、軍事思想上においても多大な影響を与えた戦争となった。その背景として活版印刷術の登場により書籍の発行が容易になったことや、科学思想の広まりから軍事的な思想や知見を理論的かつ体系的に残そうとするようになったことが推察される。

 三十年戦争以前からスペインとの独立戦争(八十年戦争)を戦っていたオランダのマウリッツは、優れた軍事教練の手法を開発するだけでなく、それを図版付きの書物『武器の操作、火縄銃・マスケット・槍について』という形でマニュアル化し、誰もがその本を読めば新式の軍事教練のやり方を学べるようにした。また、マウリッツはヨーロッパ初とされる士官学校を創設して軍事教育に関して多大な功績を残した。

 確かにマウリッツが残した軍事上の功績は偉大なものであったが、やはりこの時代を代表する軍事思想上の作品と言えるのはオーストリアモンテクッコリによる『戦争術』である。モンテクッコリは三十年戦争や後の戦争においてハプスブルク側の名将として知られ、その実績も相まって彼の著作もまた高い評価を受けることになった。彼は時代や地域を越えて通用する一般的な原理原則を求めたが、現代的な視点で見れば未熟なものも見受けられたという。ともあれ、モンテクッコリ以降、戦争をより科学的、理論的に取り扱おうとする傾向が生じてきた。

 それから時は流れ、オーストリア継承戦争七年戦争を戦い抜いたプロイセンの国王フリードリヒ二世は、プロイセン国王の将軍への軍事教令』によってその優れた知見を後世に残した。啓蒙専制君主として上からの近代化とプロイセンの大国化を推し進めた名君であると同時に、優れた軍事指揮官としての素質を示したフリードリヒ二世による著作は高く評価され、各国で読み解かれるようになったという。

 

マウリッツ『武器の操作、火縄銃・マスケット・槍について』

モンテクッコリ『戦争術』

フリードリヒ二世プロイセン国王の将軍への軍事教令』

 

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