軍事思想史入門 第2回【中世・ルネサンス】

【中世・ルネサンス

 ローマ帝国の衰退を背景とする西ヨーロッパの中世において、軍事思想もまた衰退の道を歩むこととなった。当時の西ヨーロッパでは古代ローマの軍制が失われただけでなく、優れた古典であるはずのウェゲティウスの『軍事論』も軍人よりもむしろ学者によって読まれていたに過ぎず、軍事思想の大きな発展は見られなかった。むしろ、軍事思想はビザンツ帝国(東ローマ)において花開くことになったのである。

 当時のビザンツ帝国は周辺の多くの異民族や異教徒、時に西ヨーロッパの軍勢とも争わなければならない過酷な状況にあった。戦乱は常であり、敵将の買収や不意打ちなどの卑怯な手段も含めて、あらゆる方法で自国防衛に励まなければならない立場にあったのである。そのような状況こそ、ビザンツ帝国に優れた軍事思想を生み出す源泉となったのである。その代表作と言えるものは、皇帝マウリキウス『ストラテギコン』や皇帝レオーン六世『タクティカ』である。どちらも皇帝によって執筆されたということから、当時のビザンツ帝国における軍事思想の重要さが伝わってくるだろう。

 西ヨーロッパではルネサンス期になり、古代ギリシャ・ローマへの関心が高まる中で、君主論で有名なイタリアのマキャヴェリ古代ローマの軍制や運用を研究し『戦争術』を執筆した。よく知られているように、マキャヴェリは軍人ではなく役人であり学者側の人間であった。このように依然として西ヨーロッパにおける軍事思想は、軍務よりも学問に携わる者が執筆する傾向が強かったが、三十年戦争ごろから次第に変化していくことになる。

 

マウリキウス『ストラテギコン』

レオーン六世『タクティカ』

マキャヴェリ『戦争術』

 

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